セキ子のみかんの産みの親であるとともに、我が祖母であるセキ子を訪ねて、僕は今月(2016/12)初旬、怒和島を訪れた。
実に約2年ぶりの帰郷でココロオドらせつつ、高速艇で50分かけて瀬戸内海に浮かぶ小さな島、
そこはそう、あのTOKIOのテレビ番組でも有名なDASH島のすぐそばである。
お盆でもなく、年末年始でもない時期に来るのはいつぶりだろう。
イメージしていた以上に島民を見かけなかったが、セキ子はすぐにわかった。
わざわざチャリで港まで迎えに来てくれていたのだ。

コンテンツ
野忽那諸島からなる中島列島のひとつ
総称して、忽那七島と呼ばれる。
中島(本島)、津和地島(つわじ)、怒和島(ぬわ)、二神島(ふたがみ)、睦月島(むづき)、野忽那島(のぐつな)、由利島(ゆり)を忽那七島と呼ぶ。このうち、由利島は無人島。
単に忽那諸島と呼ぶ場合、古くは二神島の属島である由利島を除き、柱島(山口県)を含める場合もある。また、松山市の釣島(つるしま)、さらには興居島(ごごしま)を含めることもある。なお、2007年に松山市が作成した「忽那諸島」というパンフレットでは旧北条市の安居島も含め、安居島への連絡船の時刻表も掲載されているが、これは市町村合併により安居島も松山市域に含まれることになったためである。
離島振興法上の指定地域名としては、「忽那諸島」に釣島も含む。
名称は、平安時代から戦国時代において、忽那氏(くつな)の本拠地であったことに由来する。
「忽那」は難読地名の一つ。なお、漢字変換の際に「こつな」で変換すると出てくるが、8世紀ころの文書には「骨奈島」とある。
by wikipedia
さっそくみかん倉庫へ
到着後、セキ子宅でアワビやとれたてのイカの刺身など、これまた贅沢な昼食をごちそうになってからみかん倉庫へ。
獲れたてみかんがキャリーに山積みされていた。

セキ子がセキ子ダンボールに梱包しているのはなんともシュールだ。

作業をするセキ子。勇ましい。

社長自ら現地を訪れてみた。的な構図。

倉庫の裏には美しい伊予柑が太陽の光を浴びてキラキラしていた。


一通り見て回ったら、親戚から軽トラを借りれるらしいので島一周してみることにした。
ちなみに島一周はのんびりいっても30分ぐらいで完了する規模である。
怒和島の山頂から見える瀬戸内海の景色
軽トラを借りて僕はセキ子からもらったみかんをダッシュボードに置いてほおばりつつ、
みかん畑が広がる農道をかきわけるように走った。

山頂から見下ろす元怒和(怒和島の北側の港近辺の町並み)、
そしてその先に広がる瀬戸内海に散らばる小さな島々。


島は島でいい味出してる。
年々人口は減る一方で、60歳以下の人口は数人しかいない。
島全体でも300〜400ぐらいだろうとセキ子は言う。
「島のやつはだいたいトモダチ。」
「みかん道歩き観てきたこの海。」
この島へ、なにか僕にできることがあれば
少なからず「セキ子のみかん」ブランドとして、僕は孫なりにばあちゃん孝行しようと思い
去年から国内で販売を行ってきた。
愛媛みかん [今季数量限りあり] セキ子のみかん 温州みかん 中島みかん 愛媛県中島産 瀬戸内海産地直送 かわいいオリジナルセキ子ダンボールで配送
[amazon.co.jp]
普段からamazonで販売している僕らからしたら別に大したことではなく、
去年も今年も申し分ないぐらい売れまくった。
購入いただいた方からはリピート注文をいただいたり、
嬉しいコメントなどもたくさんいただいた。
それはそれでいいことだし、やってよかったなと本当に思う。
けど、
なんか今回島を訪れて、徐々に縮小していかざるを得ない島のエネルギーを実感して
何かもっと僕にできることがあるんじゃないかと感じた。
失ってはいけない、失いたくないその景色を未来へつなぐために、
僕はもっと貢献していくべきなんじゃないかと考えさせられた旅であった。